春一番

会社を辞めたのを機に私は本当にやりたいことをやろうと思った


幸い大して使っていなかったお金がかなりあったのよ

そこで、渋谷にできたプロの作詞家を育てる音楽の学校へ見学へ行く

ヒット曲を連発してる 作詞家が講師に来ると

作詞家にはなりたかったわ、友達と作ったオリジナル曲は百曲
それとね、

この頃、小説の同人雑誌にも入っていたの

バカな私にもわかるんだけど才能で世に出る人は

小説家なら公募に応募している

書かなきゃ死ぬって位のモチベーションがあるのよ

音楽シーンはプロの作詞家、作曲家が作ったうたを歌手が歌うと言う時代は終わっていた

作った本人が歌う、
それが主流になるだろうと


だから学校は強引に勧誘されたけどことわったわ

ジャンルがハチャメチャ

下北の小さな劇場の裏方の仕事の面接も受けたわ

自分は何になりたいんですか

わからんわ

劇場の応募者は百人くらいいて待たされました

夢の遊民社とかが大人気をはくしているころ