2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

神奈川細雪その二十五

はずみがついたように、いつもは寡黙な祖母の話は終わらない。 「年頃やさかい、縁談もくるやろ、選ぶ時はしっかりな毎日会社に行く男はんにしなはれ、男運の悪いんは、わてとみつでお仕舞いにしまひょ、」 「結婚て何か、ようわからんのや、お父ちゃんが居…

神奈川細雪その二十四

「戦争かて、庶民は誰も有り難がっておらへんよ、中国を我が物にしたかった、軍隊が勝手に始めくさったんや」「文子、知ってるかあ?隣のセキお婆さんのお母ちゃんは風呂に入ってる時に飛行機にバババンと射たれはった、お腹射たれて、逃げる間もなかったろ…

神奈川細雪その二十三

顔が赤らむ思いがするが文子たち姉妹は「種違い」だった。男女の事に疎く、潔癖な文子は深く考えないようにしている。母が連れ添った二人の夫は結婚という、正式な結び付きだし、姉妹間になんのわだかまりもない。 「最初の富の亭主は、郵便配達だったんよ。…

神奈川細雪その二十二

「文ちゃん、明日、仕事が終わったらな、ダンスパーティ行かへん?」誘って来たのは更衣室で挨拶する程度の先輩社員だ。臨時雇いの文子らをいつも下に見ている。「へえ、明日は早く帰らんとあかんのだす。お母ちゃんの内職の洗濯挟み、配達せな。」「兄貴が…

神奈川細雪その二十一

富の家の四姉妹の末娘が美人コンテストに「優勝」したというビッグニュースは、たちまちのうちに街中に広まった。富も姉妹たちも歩けば捕まえられて、話をききたがる。「富さん、富さん、あんたとこのちいちゃん、この度はおめでとう、お茶入れるさかいちい…

神奈川細雪その二十

「このたびは、第二回ミス明星グランプリにご応募頂き深く感謝申し上げます。厳正なる審査の結果、あなたは最終選考に推薦されました。つきましては、グランプリ選考日にお越し頂きたく、ご連絡いたします」 玉吉おじちゃんがこさえた小さなポストから葉書を…

神奈川細雪その十九

玉吉の生まれ育った平塚は、県庁所在地横浜とは何もかも違う、田舎町だ。 田舎者特有の心理で、些細な変化や見慣れないよそ者を嫌う。だが押し寄せて来た戦後の好景気はそんな偏屈をすっかり廃除した、 戦後十年も経つと、住まいがバラックでは不味かろうと…

神奈川細雪その十八

警察と消防団、併せて二千人以上が隈無く捜索したにもかかわらず、四才の少女は行方不明のままだ。海へ注ぐ花水川の河口、生い茂る葭を掻き分けるようにして、探しに探して一年が過ぎた。「誘拐されて、新幹線のコンクリートに塗り込められた」そんな不気味…

神奈川細雪その十七

「口説かれている」と感じた瞬間、秀子は何時ものように軽くいなす事が出来なかった。「お客さん、かなわんなあ、ここは真面目な料理旅館でっせ、てんごも大概にな」毎日使っているフレーズが固まったように口からでない。「可哀想に苦労してんのやろ、秀子…

神奈川細雪その十六

ウグイスで向かい合った研吉はまず若葉に火を付けた。「わては、芸能人なんて知らんけどな。今一番の人気は吉永小百合やな。これが健気で泣けるんよ、貧乏人の娘やらせたら日本一や、」「おじちゃん、サユリストなん?意外や」 「ちいちゃんもサユリちゃんみ…

神奈川細雪その十五

学校帰り、千鶴子は制服のまま富の実家であるか「半田工務店」に寄ってみた。 祖母が飼っている猿がスカートの裾を引っ張るのが怖かったが、仕事場の隅で叔父の研吉が図面に向かっている。研吉は生まれつき、左腕が動かない。その不自由な肘と手首を使って、…

神奈川細雪その十四

「いやや、ふみちゃん、うちに会いになんかきたらあかんよ、」「なんでえな、小学校からの幼なじみやん、何処に住んだかて、友だちや」「友だちかて、決定的に差がついてしまうんよ、うちも詳しくは知らんけどな、オモニに聞いても暗い顔して黙りこんでしま…

神奈川細雪その十三

文子の家はこれ以上がないほど貧乏だが、工場で一緒に働いている千草の家は、もっと貧乏だ。常に栄養失調なのか仕事中に何度もたおれた。「千草ちゃん、もしかして朝ごはん食べてないんか」工場の休憩室の薄い毛布を引っ張りあげ、項垂れた姿は折れそうに細…