神奈川細雪その二十八
ステージ中央の光の渦の中で、今一人の少女が歌っている、後ろに並んだバンドはまるで彼女を守る従者のようだ。
ステージの暗がりで千鶴子は出番を待っている。永劫、続く光の中に千鶴子は生きたいと願っている。
幸か不幸か、四人姉妹の末っ子に生まれたこと
幼い千鶴子は「可愛い、いとはんやな」と他人から称賛されて育った。
与えられた物を精一杯、利用しなくてどうする?
あの街で燻っていたら、豆腐屋だの床屋だのの長男に見初められて、あかぎれをこしらえて働かされるだけだ。
スポットライトの中にいる少女の歌が終わる。少女は「らーらら」と飛び切りの笑顔を就くって、最後のフレーズを歌いきった。
厚生年金会館の客席、最前列にいるのは審査員たちだ。有名歌手の歌をつくる作曲家、作詞家の先生だ。何人かの審査員が、少女の歌に拍手をおくる。
客席では、高そうなお召しを着た中年女性がステージに手を振っている。母おやだ。
「電車賃が二人分になるさかい、予選会はお母ちゃん、いかれへん」
「ええよ、千鶴子一人で」
悲しそうに目を伏せたお母ちゃん
あの母親に楽をさせるため、自分はここにいるのだろうか?
そんな親孝行は考えたこともない
「平川千鶴子さん、曲は「可愛いベイビイです」
さあ、千鶴子の番だ。アナウンスされた名前は何だか、他人の名前のようだけど
借り物のハイヒールが、教えられたステージ中央のスポットを踏む。
「平川千鶴子です」
緊張することもなく、千鶴子の顔は笑顔を作った。