神奈川細雪その七

納戸を改造して、巨大な日本猿を飼い始めたみつは町内一の変わり者として有名だ。

「みつさん、なあ、勘弁してや。猿が恐ろしゅうて回覧板も届けられへん。檻の隙間から手ぇ伸ばして襲ってくるねん。」

「飼うったって、犬か猫にして欲しいわ。ほんまに。あんな大きな檻をこさえてまで、息子の磯吉さんの趣味でっか?と聞けば、「いんや、磯吉に捕まえて来て」とわてが頼んだんや、とこうや。」



近所中で評判の悪い大猿だが、みつは可愛いくて仕方がない。バナナを食べる、蜜柑を食べる、欲望が食物に特化していて、
濁りがない。

七十過ぎてとんだ相棒やなあ


さっき、尋ねてきたのは長女の富だが、一年中金の無心をされている。

みつにはよく解らないが、日本は中国と戦をし、ロシアと戦をし、アメリカとも戦をしたらしい。


次はどこと戦やろ


富の最初の亭主は、ロシアで死んだ


次の亭主はひりぴんで死んだ


腕のいい大工だったのは、どっちだったやろなあ

富の目には涙がたまっているはずなのに堰をきって流している光景を見たことはない。


可哀想になあ、富も四人の孫娘も

「もんちゃん、猿に生まれて幸いやなあ、うんにゃ、バカな戦を仕掛けた日本や、猿にかて赤紙がくるやろ、もんちゃん、もんちゃん、その時はうちはあんた連れて逃げるで」


檻の中で人間のような鼾をかいて猿は寝入ったらしい。