神奈川細雪その十
石原裕次郎とか言う新人俳優が、映画のロケに現れた時の騒ぎを、文子は思い出す。
同じ地続きの海岸だというのに、茅ヶ崎、藤沢は湘南海岸と呼ばれ、何やらお洒落なイメージだ。
裕次郎はヨットを操り、逆光をあびて文字どおり輝いていた。
まるで戦争という暗い時代が在った事を忘れるように
文子にとって海岸は、気前のいい漁師のおじさんから、小魚をもらったり、春のワカメを拾いにいったり、胃袋を満たす為の供給地なのに
平塚の海で泳いだらあかんよ
物心ついたときから、きつく言いわたされている
浅そうに見えても、飛んでもない海溝がすぐそこにあるらしい。
よって遊泳禁止
「姉ちゃん、みてんか、水着な友だちがお下がりくれはった、最新式のビキニや、今年は、これ着て海で泳げる」
「あんた、そんな臍だしで泳ぐんか」
「北原三枝だって、着てたやん」
「ちいちゃんは、せえが高いから似合うかもな、何しろ紅谷町小町や」
「誰がいってんねん、そげなこと」
「姉ちゃんもビキニ、着たら南田洋子になれるがな」
八百屋の伯母さんがくれたいんげん豆は、
育ちすぎていて、筋をひくと途中で切れる。
生姜和えにしようか?
みそはとっくに切れていて味噌汁は作れない。