神奈川細雪その十七
「口説かれている」と感じた瞬間、秀子は何時ものように軽くいなす事が出来なかった。
「お客さん、かなわんなあ、ここは真面目な料理旅館でっせ、てんごも大概にな」
毎日使っているフレーズが固まったように口からでない。
「可哀想に苦労してんのやろ、秀子ちゃんはいい娘さんやさかい、他の中居とは違う、前々から気になってたんや」
口にするのは甘い口説き文句なのに、抱き寄せるでもなく、滝井は正座の姿勢を崩さない。
「滝井さん、誤解してはります、うちはそんなええとこのお嬢さんやおへん。見ての通りの田舎旅館の中居だす、実家は平塚にありますがなあ、父親が戦争でしんで、貧乏の底の暮らししてますがな。」
「そういう正直なとこが秀子ちゃんの可愛いところや、わて、一目惚れしたんよ、仕草に何かしら品がある、この子はひょっとして育ちのええ子かもしらん、」
「何を言うてまんの、実家の妹たちは小町娘揃いやけど、うちはこの通りおかめや」
「可愛いこといいよる。鏡みてみい、色白で肌が綺麗や、おなごの価値は肌で決まるとわては思ってる。美人でも肌の穢いおなごは勘弁や。」
「ここに札束積んだら、一晩二ばん
秀子ちゃんを自由に出来るやろ、だがわてはそんな下品なこと秀子ちゃんにさせとうない、男のプライドってもんや、」
「遊びじゃあないんよ。秀子ちゃん、いっぺん真剣に考えておくんなはれ」
この部屋でこの男に抱かれる夜がくるのだろうか、その損得をはじくはずのそろばんが、頭の隅に登場しない。
窓の下を流れる清流がざんざんと今夜も流れている