神奈川細雪その二十二

「文ちゃん、明日、仕事が終わったらな、ダンスパーティ行かへん?」

誘って来たのは更衣室で挨拶する程度の先輩社員だ。臨時雇いの文子らをいつも下に見ている。

「へえ、明日は早く帰らんとあかんのだす。お母ちゃんの内職の洗濯挟み、配達せな。」

「兄貴が、文ちゃん紹介しろってうるさいんや、最近、文ちゃん、モテてるで」

「、、、、」

工場履きを下駄に履き替えながら、文子は「いやなてんごうやな」

と心の中で吐き捨てた。

自分もいつかは結婚するだろう、だがダンスパーティのようなチャラチャラした場所に出入りする男など願い下げだ。臨時雇いというだけで、言う事を聞くと思われるのも嫌だ。

戦争が終わって世の中の考えは変わったのだろうか。「うちは、清らかな体でいたいんや」

残りの姉妹たちはどうだか知らないが

神奈川細雪その二十一

富の家の四姉妹の末娘が美人コンテストに「優勝」したというビッグニュースは、たちまちのうちに街中に広まった。

富も姉妹たちも歩けば捕まえられて、話をききたがる。

「富さん、富さん、あんたとこのちいちゃん、この度はおめでとう、お茶入れるさかいちいっとよっていかんか?」

「へえ、山口さん、ちいなら、予選に受かっただけですよって」

「そんでも、産まれた時から知ってる娘さんやんか、うちらかて舞い上がるわ‼前々から、キレイな子ぉやと思ってたんよ」

「優勝は無理でっしょ、そこまでの器量でもなし」


「いやいや、うちの商店街から女優さんでるかもわからんよ、まだまだ買えんけど、テレビにでたら真っ先に買うわ、」

千鶴子の高校では、生徒だけでなく教師まで千鶴子を見に来るらしい。

「君が平川千鶴子さんかあ」

「はい、」

「将来は歌手とかを目指してはるの?」

「先生、うちは貧乏で歌のレッスンなんて通えんのです。基礎がないものがやっていける世界やないと思います。」

ソルフェージュくらいなら、僕がさらってあげてもええで。放課後や」

「そんなん、えこひいきやてみんなに苛められます」

「なにをいうてんの、苛められたかてええやん、君は人を蹴倒していく芸能界を目指しているんやろ、羨ましがられてなんぼの世界や」

「、、、、、、」

「まずは姿勢を直さな、声は腹から出す。私は夢見るシャンソン人形、、、この歌ええやろ、あしたから、音楽室きい、待っとる」

神奈川細雪その二十

「このたびは、第二回ミス明星グランプリにご応募頂き深く感謝申し上げます。厳正なる審査の結果、あなたは最終選考に推薦されました。つきましては、グランプリ選考日にお越し頂きたく、ご連絡いたします」


玉吉おじちゃんがこさえた小さなポストから葉書を拾い上げたのは、なにも知らない文子だ

「なんやの?これは」


「宛名は、千鶴子さまやわ」

「ちいちゃん
わけわからん、ハガキが届いてるわ」

「、、、、、、



人目見たとたん千鶴子は卒倒しそうになっている。

「文姉ちゃん、うち、うち・、、」

「顔が青いよ、なんやのん、グランプリて」

「うちがなあ、信じられへん、信じられへんよ」

「文姉ちゃん、うちなあ、明星のミスコンテストに応募したんや、駄目で元々って思うてな、それがな通ってしもうたんよ、信じられる?」

「、、、、、、」

「やっぱりなあ、審査員は見る目があるわ、最終選考は三十人よ、二千人の応募から選ばれたんよ、どないしよ?どないしよ?震えてしまって、」

「ちいちゃん落ち着きなはい、はい、お水、のんで、明星ってのは雑誌の事?」

「そうや、まずはお母ちゃんに知らせんと?探してくるけど、いつもの八百屋かな?」


セーラー服のリボンをヒラヒラさせて千鶴子が路地裏に消えた。しっかりと握りしめたハガキが微かに見えた。

神奈川細雪その十九

玉吉の生まれ育った平塚は、県庁所在地横浜とは何もかも違う、田舎町だ。
田舎者特有の心理で、些細な変化や見慣れないよそ者を嫌う。

だが押し寄せて来た戦後の好景気はそんな偏屈をすっかり廃除した、


戦後十年も経つと、住まいがバラックでは不味かろうと、どさくさに儲けた資金を住宅にあてた。

お陰様で「平川工務店」は幾ら職人を増員してもおっつかない商売繁盛だ。働きたい希望者の履歴書などまず見ない。


カミナリ族だろうと愚連隊だろうとまず雇う。幸い見よう見まねで製図を覚えた、弟の研吉がかなり役にたつ。兄貴分の貫禄を見せ、若い者らを上手に束ねている。

この頃はそこに外国籍のものが混じってきたが、彼らのプライドさえ尊重すれば、別に付き合いにくい相手ではない。


「研吉兄さん、墨付け終わったらな、角の立呑屋行かへんか」


「アホお、君とは昨日も飲んどるわ、肝臓がもたへん、」

「肝臓ってのは何どすの、」

「わてら酒飲みには、イッチ大事な内臓だすな」

「今日一日くらい肝臓ももつやろ」

「君みたいに酒を水がわりに呑むもんには、肝臓なんてあらへんわ」


「つべこべ言わんと、行きまっしょ、あこはコップに二号酒をどぼどぼ注いでくれはる」

神奈川細雪その十八

警察と消防団、併せて二千人以上が隈無く捜索したにもかかわらず、四才の少女は行方不明のままだ。海へ注ぐ花水川の河口、生い茂る葭を掻き分けるようにして、探しに探して一年が過ぎた。

「誘拐されて、新幹線のコンクリートに塗り込められた」

そんな不気味な噂話がまことしやかに囁かれている。

少女の両親は屋台ラーメンを引く夫婦で、玉吉の姿を見掛ける度に、窶れ果てた身体を二つに折る

「親方、家の子供のこつですんまへん、仕事に支障がでたら、お詫びのしようもありません」

「不思議じゃあ、海も川も湘南平もこれだけ捜しつくしたに、ズック靴一個見つからんとはなあ」

「警察さんも消防団も、どんだけ感謝しても足りません、あとはうちら夫婦が気長に捜しますけえ、」

ラーメン屋夫婦がペコペコ頭を下げながら行ってしまうと玉吉はいこいに火をつける

地域の結束が強かったのは戦争前の事、今はオリンピック、東京タワー建設、次から次へと発注される、公共施設の仕事にありつこうと、日本中の人間が大都市を目指す。

上手い儲け話に食らいつく人間にろくな奴はいない、

去年、有限会社にした「平川工務店」にも愚連隊上がりの少年はいるが、一人前の職人に育て上げるのが、自分の仕事だと思っている。

神奈川細雪その十七

「口説かれている」と感じた瞬間、秀子は何時ものように軽くいなす事が出来なかった。

「お客さん、かなわんなあ、ここは真面目な料理旅館でっせ、てんごも大概にな」

毎日使っているフレーズが固まったように口からでない。

「可哀想に苦労してんのやろ、秀子ちゃんはいい娘さんやさかい、他の中居とは違う、前々から気になってたんや」

口にするのは甘い口説き文句なのに、抱き寄せるでもなく、滝井は正座の姿勢を崩さない。

「滝井さん、誤解してはります、うちはそんなええとこのお嬢さんやおへん。見ての通りの田舎旅館の中居だす、実家は平塚にありますがなあ、父親が戦争でしんで、貧乏の底の暮らししてますがな。」


「そういう正直なとこが秀子ちゃんの可愛いところや、わて、一目惚れしたんよ、仕草に何かしら品がある、この子はひょっとして育ちのええ子かもしらん、」

「何を言うてまんの、実家の妹たちは小町娘揃いやけど、うちはこの通りおかめや」


「可愛いこといいよる。鏡みてみい、色白で肌が綺麗や、おなごの価値は肌で決まるとわては思ってる。美人でも肌の穢いおなごは勘弁や。」


「ここに札束積んだら、一晩二ばん
秀子ちゃんを自由に出来るやろ、だがわてはそんな下品なこと秀子ちゃんにさせとうない、男のプライドってもんや、」


「遊びじゃあないんよ。秀子ちゃん、いっぺん真剣に考えておくんなはれ」


この部屋でこの男に抱かれる夜がくるのだろうか、その損得をはじくはずのそろばんが、頭の隅に登場しない。

窓の下を流れる清流がざんざんと今夜も流れている

神奈川細雪その十六

ウグイスで向かい合った研吉はまず若葉に火を付けた。

「わては、芸能人なんて知らんけどな。今一番の人気は吉永小百合やな。これが健気で泣けるんよ、貧乏人の娘やらせたら日本一や、」

「おじちゃん、サユリストなん?意外や」


「ちいちゃんもサユリちゃんみたいに、映画に出たいんか?」

「映画もええけどな、これからはサユリちゃんとか原節子とか、日本風の美人より親しみ易い顔が受けるんちゃう?」

「家にはテレビがないさかい、古い雑誌見るとな歌手も美人はおらん、外人ぽくて可愛いくて、愛嬌のある、そんな女の子がデビューしとる」

「ちいちゃんは、良く研究しとる」

映画女優とか、うちに出来るはずない、サユリちゃんはほんとは、ええとこのお嬢さんやろ、うちはなあ」

「スパーク三人娘みたいに、ちょっとした番組に出て歌を唄ってファンの男の子からキャーキャー言われたいんや」

「可愛いベビー、ハイハイ、」

この頃ラジオを着けるとノリのよいこの歌がかかる。

「美人コンテストは受かりそうなん?」


「駄目や、毎年二千人くらい応募があるんよ、うちかて、さっぱり自信ないんや、うち程度は所詮田舎の美人や」

「、、」


気がつくと煙草が指を焦がしそうになっている。映画のスクリーンと可愛い姪の姿を見ようと、目をとじたが、セーラー服のサユリちゃんの顔しか見えない。